「ざらついた」感触

ある実験で、簡単なジグゾーパズルを完成させてもらう。

片方はピースがサンドペーパーで覆われており(ざらついた感触)、もう片方は同じジグゾーパズルでピースの表面が滑らかである。
パズルができたら、ある会話を記した文章を読んでもらう。
その会話は、人間関係をわざとあ曖昧にしてある。

被験者にそれがどんな会話化を評価してもらうと、
ざらざらのジグゾーパズルを解いた人は、滑らかなピースのパズルを解いた人よりも、会話を(友好的ではなく)敵対的、(協調的ではなく)競争的で、話し合いと言うよりも論争に近いものとしてとらえるという傾向がでた。

ざらざらな手触りという身体的な経験が社会的な会話の評価を変化させ、会話を比喩的に言えば「ざらついた」ものに感じさせたということである。

暖かいコーヒーと冷たいコーヒー
口内の圧感について


ここからは主観です。

これは食事のさいに使われる食器や器などでも同じことが言えると考えられる。
例えば木製の食器を使えば、(熱伝導率や触感は当然違うが)、木の手触りから健康的な食事に感じたりすると思われる。

どちらかと言えば、滑らかな感触→会話が協力的、という考えよりも、

滑らかな感触→気持ちいい(各個人の感想)→会話が強力的
という、各個人の経験則的な心理状態が間に挟まっているのではないかと個人的には思う。

そのため、例えばスベスベした毒カエルが生息する地域で、「スベスベしたものは危険」と認識して育った人が同じ実験をすれば、結果は変わっていたと考えられる。

参考文献 触れることの科学